JGAメルボルンの歴史と概要

2017年10月

JGAメルボルン元部長 江口 清

(メルボルン日本人会 名誉会員)

JGAメルボルンの歴史と概要

メルボルンのJGA(Japanese Golf Association of Melbourne)はゴルフ熱心な法人有志により日本人会とほぼ同時に発足し、当初はメンバー50人以下と記憶します。

私は1967年頃に入部し会員歴は2017年で50年? 当時メルボルンの日本人社会は600人ぐらいでしたが、夫婦共々ゴルフは盛んで例会としては夫婦ペアーのトーナメントがJGA発足以前から行われていたと聞いています。JGAはその後メルボルン日本人会傘下に入り多数の企業の絶大なる後援で組織化され、運営内容も充実し月例会の他に年行事などが盛り込まれました。

その中で最も盛大とされるイベントが総領事杯特別大会でした。現在も継続されているプレー後に開催する夫婦で一緒に参加できる懇親会には多数のメンバーが集まり総会の様な親睦集会と成りました。その影響は新規部員の普及促進にもなりJGAは一時200人以上のメンバーを抱えた大家族になりました。

振り返って思うと企業が交代で受け持つ事務局は何十年もワープロもコンピューターがなかった手書き、郵送、小切手支払いの時代にこの大人数の対応を熟したのは並大抵ではなかったと感謝の意を表するところです。

グループの予約が可能だったことからホームコースは現在も定評のYarra Bend PublicGolf Courseでした。当時豪州のPublic Golf Courseは当日制の先着順が基本であり、グループの前予約を獲得するのは異例でしたがYarra Bendは例外でした。

しかしPublic Courseの運営は数年毎の入札で経営者を決める形式を採用しており、Yarra BendJGAの世話をしてくれた者が入札はずれとなり、あわやホームコースが無くなるところでした。メルボルン中隈無くリサーチした結果、Sandringham PublicGolf Linksを経営していた 故Martin Smithと出会い、彼が当時の常識では信じられない程日本人贔屓で我々の悩みを解決してくれました。

MartinさんはRoyal Melbourne Golf Courseのコースレコードをもつ有名な元プロで大変頑固な人でしたが、豪州人には尊敬される有力な人物でSandringham市会議院を説得し1年単位でJGAの予約を与えて下さいました。

入札時には細心の努力を払いMartinさんが亡なられ息子さんのJohn Smith時代になっても継続して経営権を取得し、それがきっかけでJGAは常時プレーできるコースの選定は現在も安泰状況です。

最近Public Courseも市からの補助金の削減または廃止が現状でUser Payの思考が高まり採算性を重んじるようになり予約制度も組み入れるようになりました。しかしJGAの様に1年単位でしかも多人数を対象とするものではありません。この様な幸運な状況は豪州をさておき世界でも稀なケースだと言われています。

JGAの歴史では白豪主義の中Smith familyの日本人に対する好意は忘れる事は出来ません。通常の月例会では40人程度の参加者が特別大会(総領事杯、JAL杯等)のときは140人以上の参加者が有ったこともありCourseが日本人で埋まる状態でした。そんなときMartinさん およびJohn Smithに不服を訴える豪州人も居ましたがその対応は万全でした。

2010年以降Royal Melbourne Golf Club(RMGC)が入札の結果経営権を獲得しましたが、幸い当該長期慣例予約制度を理解され、現状維持に賛同くださり、現在(2017年)に至っています。RMGC引き継ぎ後は同クラブの近代機動力と高度のコース管理ノーハウが生かされJGAはパッティング・グリーンおよびフェアーウエーの向上を経験しより高質なホームコースを享受する事ができる様になりました。

メルボルンを含め豪州でのゴルフは1980年頃から一般人の中で急激に普及し、現在全国に1,700近くのゴルフコースがあり、その約35%がPublic Courseと言われています。Private Golf Clubではメンバー減少の悩みがある中、Public Courseはどこも平日週末共々に盛況だそうです。

これは, 一つには当地の労働者の勤務体制がFlexi-time(1日8時間労働を朝6時から夕刻の8時の間に自由に選ぶ制度で週単位の場合もありる),12hour Shift(3日間1日12時間勤務し4日休養する勤務制),  Roster Day Off(1日の勤務時間を45分延長し2週間に1度の追加休日を取ること)と多種多様で、レクリエーションをする日々は週末に限定されていないことと、もう一つの理由としてはテレビのゴルフ放映の技術向上によるプレー意欲の促進とGreg Norman、Adam Scott, Jason Day等豪州選手の世界的な功績に起因するゴルフ熱が挙げられるそうです。

ゴルフ用具の普及も同様にプロショップはもちろんのこと、専門店の数は急増しました。メルボルンでは日本人のみのゴルフ熱が圧倒的だった世代はもう過去のものとなり、Play Feeが手ごろで健康的なスポーツの一つとして地元一般人のレクリエーションとなりました。ただし、上記の通り最近の傾向として豪州人プレーヤーはPublicを好む様になり、Private Clubは年々メンバーが減り経営困難に陥っているのが現状です。

JGAのメンバーには常にアマチュアー上位に属する高質なゴルファーが在籍し部員の技術向上に貢献してきましたし、現在も2、3人その実力を持つ方がいます。ルール、エチケット等の理解についても、ゲームがより楽しめる様に、そして同伴および他人プレーアに迷惑をかけない様に努力し啓発しています。私は当地のゴルフ審判Level-1の試験を経て、少々手強いとは思いましたが2001年にVictoria州Golf Victoria公認審判Level-2の認定試験に挑戦し合格しました。プロの公式戦の審判も経験して、現在は州主催のトーナメント、ペナント戦等を受け持っています。そして、それらの経験を生かしJGAメンバーのルール知識の向上に努力しています。

JGAの歴史上では豪州人との親睦を目的とする行事があり、毎年11月に行われている交流戦がそれで、この大会は40年以上に歴史を持ちSandringhamに所属する公認GolfClubとJGAの代表選手が親善試合を行うものです。プレー後の賞品授与には軽食と飲み物を提供し、親しい1日を過ごすものです。

【JGAメルボルンの主な出来事】

● 1963年頃に発足
● 1968年日本人会の傘下に入る
● 1970年JGAメルボルンの規約設定
●1972年にGolfer of the Year制度の設定
●1972年Sandringham Golf Clubとの親善試合発足

●1978、1979年豪州日本大使大河原太一郎杯の開催4州の代表選
手各4人参加 (於いてCanberraおよびSydney)
●1985年中曽根総理大臣がメルボルン訪問総銀のトロフィー寄与特別
大会開催
●1986年メルボルン総領事杯大会発足

後記:当歴史・沿革の内容および出来事は事実に基づいていますが、日時等について記録がないものは記憶に頼っている部分もありますのでご了承ください、訂正を必要とすると場合はその旨ご一報ください。
(2017年10月—JGA競技委員江口 清)