メルボルン日本商工会議所会員、日本人会会員の皆様、理事を務めさせていただいております赤木でございます。
メルボルンに着任して瞬く間に2年4か月が経過いたしました。私にとっては5番目の赴任地であり、2004年香港で飼い始めたチワワのCOCOにとっても、香港、北京、東京に次いで4都市目の赴任地となりました。
住めば都とも申しますが、私の駐在いたしました都市と比べても、メルボルンは、本当に別格的な素晴らしい街だなとつくづく感じることが幾つかございます。
身近な公園など豊かな自然、治安の良さに加え、様々な日本人コミュニティを通じて、永住者の方、企業からの出向者の方、短期留学の方々など、交流の場が盛んであることを先ず感じています。私自身も日本人会ゴルフ、世代別ゴルフイベント、あるいは出身校の親睦会等に参加させていただくことにより、仕事の場面だけではお会いできない、たくさんの方々と知遇を得ることができました。
次に、ローカルの方々の集まりに日本人も自然に溶け込ませていただけることもメルボルンの魅力のひとつと考えます。家内も、近所のテニスサークルに参加させていただき、こちらの生活をエンジョイしているようです。
また、メルボルンは、全豪オープンテニス、メルボルンマラソン、F1グランプリ、プロゴルフ等のスポーツを身近に観戦できる機会に恵まれています。観戦に行きますと、無意識のうちに『錦織頑張れ』『川内選手頑張って』と大声を張り上げてしまい、日本ではあまり意識することがない日本人としてのアイデンティティを感じます。
私の最初の海外赴任は、80年代のアメリカ・サンノゼで、現地の電話会社様向けにモデムと呼ばれるデータ通信機器を営業することから始まりました。当時 の先端機器でありましたが、データ通信速度は、現在の10,000分の1以下、容積は弁当箱2つ分、最上位機器価格は何と新車1台分に相当しておりました。インターネット普及の黎明期として、政府・企業様の基幹コンピュータ間、あるいはほんの一部の方々のパソコン通信用途として、データ通信機器が活用されていた時代です。アメリカはもちろん世界の先進国でありましたが、日本関係のメディアは、1週間遅れの新聞、或いは週末30分放送される日本語放送のみであり、最も頼りになるのは、人を通しての情報でした。
インターネット・スマートフォンの普及という社会インフラ、あるいはライフ・スタイルの変化に伴い、メルボルン商工会議所、日本人会に求められる役割も年々と多様化しつつあると考えます。インターネットをはじめとして、さまざまな情報を様々な機器で瞬時に把握できる現在だからこそ、会員・事務局の皆様と推進している夏祭り、日本語弁論大会、各種講演会・セミナー、スポーツ支援などの草の根的な文化・スポーツ交流が、メルボルンにおける日本人コミュニティからオーストラリアローカルの方々への大切な情報発信=インターネットでは得ることができないHand in Handのメッセージとなってきていると考えます。
本年 メルボルン日本商工会議所は、設立50周年を迎えることを伺っております。まさに、幾多の会員の皆様、諸先輩のご苦労の賜物により、ここまで商工会議所、日本人会が発展してきたと考えます。そのご苦労に感謝しつつ、私自身も微力ながら何等かの恩返しをさせていただき、当地での赴任生活を全うできたらと考えております。今後とも よろしくお願い申し上げます。